時間

こんなに たくさんの 仕事は
絶対に できないと 思うから
今してることだけ 終わらすんや
次してることも 終わって
そうして そうして くらしていると
大きな仕事も 終わっているんや
 大ちゃんと一緒にお買い物をしていたときに、声をかけて下さった方がおられました。大ちゃんの詩をずっと読んで下さってたということで、高校を卒業してからの大ちゃんのこともずっと気にしてくださっていたということでした。「箱折りか何かするの?」と大ちゃんにではなく私に尋ねられ、まだはっきりと決まっていないということなので、「そうですね。そうなるかもしれないです」とお話すると「こういう子らは単純作業やらせると誰もかなわんからねえ、いいかもしれん」とその方が言われました。
 大ちゃんと私はその方と分かれてから、ずっとそのことについてはお話しませんでした。雪の話をしたり、風の話をしたり、それから長い間、黙っていたり・・・
 ずっと時間がたってから、大ちゃんは「こんなに たくさんの 仕事は・・」の詩を作りました。
 大ちゃんは誰かが質問をしたときなども、すぐにそのことについて話さないことあります。そんなとき、大ちゃんがあまり何も言わないから「質問がむつかしかったのかな?」とか「大ちゃんは何も考えていないのだろう」とか思われてしまうことが多いかもしれません。質問をしたかたもすっかり忘れてしまっていた頃に大ちゃんは、そのことについて話をします。でももう何について質問したかということさえ忘れられてて、「大ちゃんは何をとんちんかんなこと言ってるの?」って思われてしまうこともあると思います。
でも、大ちゃんは、本当はどうなのかをずっとずっと心の中で考えているのだと思うのです。いそいで間違ったことを言わないように、言葉を選んで考えているのだと思います。そしてそれが相手の方に対して、いつも誠実な大ちゃんの気持ちなのだと思います。
 私はそんな大ちゃんにふれることができるたびに、ミヒャエル=エンデさんが書かれた「モモ」という本の中の道路掃除夫ベッポさんのことを思うのです。ベッポさんはなにを聞かれてもにこにこと笑うばかりで返事をしないのです。質問をされるとたいていは2時間もそれからときにはまる一日考えてから返事をします。そのときにあいては自分が何を聞いたか忘れていてベッポさんの言葉に首をかしげて、おかしなやつだと思うのです。頭が少しおかしいなんて思われてしまうこともあるのです。でもモモだけはいつまでもベッポさんの言葉を待ちましたし、彼のいうことがよく理解できたのです。こんなに時間がかかるのは、彼が間違ったことを決していうまいとしているからだとモモが知っているからなのです。
 大ちゃんはベッポさんじゃないし、ベッポさんは大ちゃんではありません。そのことは当たり前のことですけど、私は、大ちゃんがあいての人をいつも大切に思うから、そして、自分のことも大切だから、自分の気持ちがきちんと伝わるように、ゆっくりと考えているのだと思います。そしてその時間は、とてもとても大切なものなのだなあと思うのです。せかせかしているときっとその大切なものをなくしてしまったり、落としてしまったりするかもしれないんだって思いました。「いったいどっちなの?」「はっきり言わないとわからないでしょう?」なんていう言葉は大切なものを知らない間に奪ってしまう言葉かもしれません。
 ところでそのベッポさんはモモにこんなふうなことも言っています。おそろしく長い道路の掃除の担当になったとき、不安でたまらなくなってずごい勢いで働きまくっても、いつ見ても道路は少しも減っていない。しまいには息がきれて、動けなくなってしまうからそんなやり方はいけないのだ、一度に道路全部のことを考えてはいけない。次の一歩のことだけ、次のひといきのことだけ、次のひとはきのことだけ考えるとそのうちにたのしくなってくる。楽しくなると仕事がうまくはかどって、ひょっと気がつくと、道路が全部終わっとる、どうやってやり遂げたかは自分ではわからない。これが大事なんだ。
 
 大ちゃんは「単純作業はこの子らにかなうものはおらんから」ということについて、ずっと考えていたのだと思います。そして、偶然ですけどベッポさんと同じようなことを考えました。たくさんの先の見えない仕事はやはりとてもつらいと思います。でも大ちゃんはどうやってそれに取り組んだらいいのかという大事なことを知っているのです。
 「単純作業はこの子らにかなうものはおらん」という言葉は子供たちと一緒にいるとよく他の方の口から耳にする言葉です。箱折りが得意な人も不得意な人もいて、当然なのですけど、そして”この子ら”なんてひとからげにして言えることではもちろんないのですけど、それを横においておいても、この言葉の中に、子供たちのことをすごいなあというほめ言葉じゃないニュアンスがあるように私は感じてしまっていたのです。それは上手には言葉でいえないけれど、「子供たちはつらいと感じる心がないのだろう」とか、「簡単なことしかできないからかえって飽きないんだ」とか、そういう言葉を言われる方と気持ちがつながってるのかなと感じることがあるのです。
 でもね、違うと思うんです。もしかしたら、箱折りがとても上手な子供たちは、ベッポさんの教えてくれた時間についての大切なことに気がついているのかもしれません。
 それから大ちゃんは以前こんな詩も作っています。
一日 くらしたら
一日 すぎる
朝になって 夜になって
朝になって 夜になって
だんだん だんだん
苦しいこともうすくなる
 時というものは不思議です。時はゆっくりと答えを出すのに必要なもの。たくさんの先の見えない仕事を楽しみにかえるもの。つらいことを忘れさせてくれるもの・・・
 でもどんなふうに時をとらえるかによって、それは変わってくるものなんだと思います。 
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