大ちゃんは今高校三年生です。学校も離れて、会えるのはひと月かふた月に一回くらいです。でも大ちゃんが中学生のときは、大ちゃんと私は毎日毎日一緒でした。春がきて、夏がきて、秋がきて、冬がきて、そのときどきに大ちゃんは私にいろいろなことを教えてくれたのです。
毎日いろいろなことに追われて、季節の移り変わりさえ気がつかずにいる私に、大ちゃんは「山もっちゃん、においや」と言いました。「春やから」と言いました。何のことかわからずぽかんとしていると「春になったらわかるなあ においかいだらわかるなあ 桜もちのハッパのにおいがするんだよ」と春の訪れを教えてくれるのでした。ああ、私、せかせかして春がもうすぐそこにきているのも気がつかなかったんだなあと思ったのでした。
夏の合宿の夜に、あんまりお月さまがきれいなので、ふたりで月を見上げていたときのことでした。「月から見た地球も お月さんのように きれいに しとるやろうか」大ちゃんがいいました。(ああ、きれい)とただお月さまがきれいなことだけしか考えられなかった私は、とても驚きました。大ちゃんは、地球には月にない人間がつくった車や工場やそのほかたくさんのものがあって、地球を汚していることを知っていて、その地球がこの月のように遠くから、いったいきれいに見えているのだろうかと心配しているのだなあってわかったからです。大ちゃんは自分や周りの人たちだけでなく、地球のこともこんなに大事に思っているのだなあと感じられてますます大ちゃんのことが大好きって思えたのでした。
神戸に大きな地震が起きたときに、テレビにうつる神戸の様子を見て、大ちゃんは戦争のことを思いおこしたようでした。「戦争は地震じゃないから やめられるはずやろ」本当にあのときに起こった地震はどうしても止めようがなかったにしても人間が同じように悲惨なことを起こしてしまうのはなんて間違ったことなのだろうとあらためて大ちゃんの言葉を聞いて思いました。
こんなふうに大ちゃんと一緒にいて、季節やいろいろなできごとを経験しているうちに、大ちゃんは私にとってなくてはならないとても大切な存在になっていました。それなのに、私はまだ大ちゃんを守っているのは、私、ささえているのは私というふうに思いこんでいたのかもしれません。
大ちゃんが3週間の仕事の実習に出かけたときのことでした。学校に3週間もの長いあいだ大ちゃんがいないのは初めてでした。心にぽっかり穴があいたようで、大ちゃんならこんなときにどう考えるだろう。大ちゃんがこれを見たらうれしいだろうな・・・と何をを見ても何を聞いても大ちゃんのことを考えていました。また、実習はつらくないだろうか、私がいなくても大ちゃんは大丈夫だのだろうか、誰ともお話できずに寂しい思いをしているのじゃないかと心配でたまりませんでした。3週間の実習を終えて、最初に学校に出てきた日、スクールバスから降りてきた大ちゃんはかけよるように私のところへきて、「山もっちゃん、大丈夫やったか?俺がおらんくて大丈夫やったか?」と言いました。ああ、私、いつも大ちゃんを守っているつもりだったのに、大ちゃんを支えているつもりだったのに、本当は大ちゃんこそが私を守って、支えていてくれたのだなあとその時になってやっと気がついたのです。
そんなふうに私にはとても強くて男らしい大ちゃんですが、一方でさびしがりやでもありました。学校の帰り、玄関まで大ちゃんを送って「さよなら」と言うと、大ちゃんはむっとした顔をするのです。「どうしたの?大ちゃん怒ってるみたい」というと、「さよならなんていうなや またね またねっていうてみ」とさびしそうに大ちゃんが言いました。本当ですね。大好きな友達や、恋人同士の帰り際の「さよなら」はなんて寂しい言葉なのでしょう。またはやく明日になってまた大ちゃんに会いたいって私も同じ気持ちになったのでした。
こんなふうに大ちゃんと一緒にいる毎日が当たり前のようになっていたのに、中学部卒業の日は一日一日近づいてきていました。卒業の日は、私と大ちゃんのお別れの日。同じ学校にいてももう一緒にいられないのだ、もう一緒に詩を書いたり、絵を描くことはないのだという気持ちが私をとても悲しくさせました。そんなときも大ちゃんは何度も私の顔をのぞき込み、「いっしょにいたる 心配せんでも いっしょにいたる そんなふうになっとるから」と言うのです。(そう言ったって大ちゃん。私は中学部。大ちゃんは高等部、もういっしょにはいられないのよ)とのどまで出かかった言葉を飲み込みながら「そうね」とその場限りのことを言っていたように思います。ただ詩だけは作り続けてほしくて、「高等部へ行ったら、高等部の先生と詩を作ってね。詩はやめないでね」と言いました。大ちゃんは悲しそうに「山もっちゃんと作る」と言うだけでした。
高等部へあがった大ちゃんは詩作りをやめてしまいました。お家の方も高等部の先生も校長先生も、なんとかして大ちゃんに詩作りを続けてもらえないだろうかと考えておられたようでした。その気持ちは私も同じだったのです。学校ですれ違うとは「詩作ってほしいな、大ちゃんの詩みたいから」と頼みました。大ちゃんはそのたびに 「山もっちゃんまたいっしょに詩つくるか?」と言うのです。けれど、私と大ちゃんは学部が違うので、同じ授業は一時間もないのです。「だめなのよ。でもね、お家の人とつくったり、高等部の先生とつくったらいいじゃない」と言う私に大ちゃんはただ、「知らんな」と悲しそうに首をふるばかりでした。そしてとうとう大ちゃんは私の姿を遠くで見るだけで、すっと違う方へ行ってしまうようになったのです。私はとても悲しかったです。あんなに詩作りが大好きだった大ちゃんを今は、「詩を作って」と頼むことで苦しめているのです。大ちゃんはまた昔のように廊下を、下を見ながら歩いていました。私はもう「詩を作って」とはいわなかったけれど、大ちゃんはただ遠くの方で私の姿を悲しそうに見つめ、近づくと目をそらしてしまうのでした。
ところがある日のことでした。大ちゃんと私の周りにだれもいないときがあったのです。大ちゃんはまっすぐ私のところにむかってきて、私の目をみてこう言いました「僕の気持ちは 僕のもん 二人のときだけ 話すことや」そうだったのです。大ちゃんは二人で詩をつくるということをあんなにあんなにいつも大切にしてくれていたのです。大ちゃんは詩をつくろうと思ってつくるのじゃなく、いつも気持ちを伝えようとして詩をつくっていたのです。それなのに、そんな大事なことを忘れていて、私はただ、また素敵な詩をつくってほしいとそればかりを思っていたのでした。大事なことは、気持ちを伝え会うということだったのです。
私は大ちゃんの気持ちを校長先生や高等部の先生にお話しました。校長先生が「生徒一人を大事にしないものが生徒みんなを大事にできるだろうか」とおっしゃってくださいました。高等部の担任の先生も「大ちゃんの気持ちを一番大切にしたい」とおっしゃってくださったのです。こうして、私たちはまた週に一度、水曜日の1時間目に一緒に時間をすごせるようになりました。もし校長先生や、高等部の先生方のあたたかいお気持ちがなかったら、私たちは「どうして詩をつくってくれないのだろう」という私の気持ちと「詩は二人のものやのに」という大ちゃんの気持ちが、背を向けあって平行のまま気まずく終わってしまったかもしれません。そして二度と一緒に詩をつくることもなかったかもしれないなあと思うのです。
詩をまた作りだした最初の日、大ちゃんはとてもうれしそうでした。そして私もうれしかったです。「さあはじめよう 昔みたいや 同じやな」そして何ヶ月もたっていたのがうそのようにまた詩をたくさんつくってくれるようになりました。
それにしても大ちゃんはどうして、中学部を卒業するとき、「 いっしょにいたる、心配せんでもいっしょに いたる そういうふうになっとるから」と一緒に詩を作る続けることができるということをあんなにも間違いのないことのようにして知っていたのでしょう。本当に不思議です。今でも時々大ちゃんから電話があったり、私がかけたりして、時々会っています。詩を作ったり、絵をかいたり、お話をしたりしてる大ちゃんのそばにいられることをとても幸せに思います。

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