美術館
大ちゃんだけでなく、子供たちはみんなとても素敵な絵を描いたり、粘土の作品を作ったりして気持ちを表現します。みんなの作品があまりに素敵なので、たくさんの人にその作品たちを見ていただきたくて、「たんぽぽの仲間たち作品展」という名前をつけてあちこちで作品展を開いてきました。
その日は学校の近くの小さな美術館で作品展を開いていただいていたので、みんなでバスにのって自分たちの作品展を見に出かけたのでした。自分たちの作品が美術館に飾られているのを見るのはとても楽しみなことでした。けれどその日は作品を見るだけでなくほかの目的もあったのです。私たちはどこかへ出かけるときに、いろいろな勉強も一緒にします。その美術館は二階建てで一階には喫茶店がありました。街の中で食事をとること、メニューから自分の食べたいものを選ぶこと、自分でお金を払うこと、決まったお金の中で一日をすごすこと、みんな私たちにとってとても大切な勉強でした。そしてその日はお金の使い方に重きをおいて学習をしようということになっていました。最初に渡された決まったお金でバスにのり、食事をし、もしまだ余れば、絵はがきを買ったり、ジュースを飲んでもいいという約束だったのです。でももしバスのお金を残してなかったら歩いてかえるんだからね、そういう厳しい約束にもなっていたのでした。
とてもいいお天気の日でした。美術館へ続く道のすぐ下は穏やかな日本海が大きく広がっていました。バスから降りて美術館まで続く道は1、5キロくらいあって普段なら少し遠く感じる距離ですが、秋の山と海の間の美しい道を歩くことはとても楽しい気持ちがしました。大ちゃんもとてもうれしそうで、「山もっちゃん、お昼何食べるんや」としきりに昼御飯のことを気にしていました。そこの美術館の喫茶店はご飯もとてもおいしいのです。カレーライスやハヤシライス、茶そば、グラタンなどメニューもたくさんそろっているのです。ゆっくり作品を見て、すぐ近くの海を臨む散歩道を歩いて、それからお昼ご飯を食べました。大ちゃんはカレーライスを頼んで、そして自分でお金を払っていました。そのあと、まだ路線バスの時刻までたっぷりと時間があったので、ゆっくり外のベンチに座ったり、また絵を見に行ったり、外を散歩したりと思い思いの時間をすごしていたのでした。
大ちゃんはどこか新しいところへ出かけると、いろいろなものを見るためなのでしょうか、いろいろなところをあちこち歩きます。「うろうろしている」と言った感じがぴったりでしょうか。その日も喫茶店の中や、美術館の中を「うろうろ」歩いていました。私はとてもいいお天気の中、ほかの子供たちと楽しく話をしたり、美術館に作品を見に来て下さったお客さんとお話をしたりしていたのでした。
やがて、時間になったので、みんなでゆっくりときた道を戻り、バスを待っていたときのことでした。「ちゃんとバスのお金、出せるように用意しとこうか」何気なくそう言ったら大ちゃんが「バスのお金」と言って私の方へ手を出すのです。「ん?今日使うお金は、みんなのお財布に入ってる分で足りるからそこから出してね」大ちゃんの様子が変です。口の中で何かもぞもぞ言ってるのです。よく聞くと「そんなもの、ねえよ」って言ってるのです。「え?落っことしたの?」そっと聞くけど大ちゃんはしまいに怒りだしてしまいました。「落としてなんかねえよ」こんなときの大ちゃんの言葉は急にちょっと悪くなります。
私もいったいどうして大ちゃんのお金が足りないのか不思議でした。お財布を見せてもらうと確かにバスに乗るには20円足りないのです。
「大ちゃん、喫茶店でチーズケーキ食べてたよ」「ジュースも自販機で買ってたよ」続々と同僚から目撃証言がありました。そんなこと少しも知りませんでした。「本当?大ちゃんってすごいねえ。ひとりでチーズケーキ注文して、食べて、お金払えたんだ。大ちゃんってすごーい」うれしくなって声をあげた私に同僚が言いました。「何のんきなこと言ってるのよ。帰りのバス賃もないのに、バスに乗れないのよ」本当にそうでした。朝の会でバス賃だけは残すことと約束したのでした。そしてバスはもう少しでやってきます。大ちゃんはあいかわらず怒っています。きっとどうしたらいいのかわからないから怒っているのだと思います。「しょうがないよね、歩いて帰ろう」大ちゃんに言うと大ちゃんは「嫌だよ」と言いました。でもね、しょうがないのです。だってお金がないのですもの。お金がなかったらバスには乗れないのですもの。いいえ、本当は私も余分に少しは持っていたのです。でも歩いてもバス停で3つです。距離はたぶん5,6キロ。帰りのスクールバスの時間までには歩いても間に合うでしょう。バスはお金がないと乗れなくなってしまうということ、そのためにこれからも計画的に使うことがとても大切だということを、私たちふたりでここで勉強することはとても大切なのじゃないかなと思いました。それに朝、話した「バス賃が残ってないと歩いて帰らなければならない」と言う言葉がただのおどしにようになってしまうのも嫌でした。
バスが来て、他のみんなが乗って、私と大ちゃんふたり、そこに残りました。大ちゃんはすごくすごく機嫌が悪かったです。ずっとずっとぶつぶつと怒っています。そして私の手をとってすごいスピードで走り出しました。「速く走らんとしらんのやからな」「もうチーズケーキなんか大嫌いや」「もうチーズケーキなんか食べてやらんからな」「山もっちゃん、速く、速く、もうもっと走らんとおいて行くんやからな」・・・・・・大ちゃんはふっくらとして体も重そうなんだけど、走るのはとても速いです。私は誰よりも足が遅くて、大ちゃんはイライラしながらもここに私をひとりおいていくわけにはいかないと思っているのだと思います。
(私が悪いんじゃないのに、私のほうが叱られてるみたい・・・大ちゃんが悪いってわけでももちろんないけど、私のことばかり怒ってる・・)大ちゃんは私のことを怒鳴りながら、それでもすごいスピードで私の手をひいて走っていきます。私はまるで宙を浮いているようでした。そして何日も階段もあがれないほど、足が痛くて大変でした。
足らない20円を私が出して、バスに乗ることはとてもたやすいことだったけれど、あのとき私たちにとって、バスに乗らないで歩いて(走って)行くことはとても大切なことだったのだと思います。あのあと、大ちゃんはどこかへ出かけるとき、バス賃だけは別によけて、けっして使わないようになりました。それからもっと遠くへ電車に乗って出かけるときもそうでしたし、今に一月分のお金を少しずつ使うときも、あるだけみんな使ってしまっていいということはないんだっていうことにつながっていくのだと思います。それから私にとっても、大ちゃんは本当に困ったときもこんなに優しくて、私をひとりおいていくなんてことは絶対にしないでいてくれるんだなってうれしかったし、それからいろいろな場面で失敗することがあっても、それはとても大切なことだなって考えることができました。
大ちゃんはそれからもチーズケーキは変わらず大好きです。

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