絶食

 首の骨折が判明すると、食べ物を喉に詰まらせる危険性があるという理由から、食事は禁止になりました。水分も摂る事が許されず、全てを点滴に頼る事になりました。
 絶食が始まり、1週間が過ぎた頃です。看護婦さんは病室へ入ってくるなり、
「うんちは出ましたかぁ?」
と言いました。「うんちは出ましたかぁ」って、何も食べていないのに出るわけがありません。「出ていませんよ」と伝えると、看護婦さんは心配をして、
「今日出なかったら、明日は浣腸をしましょうね」
「か、浣腸?」
 僕は浣腸の経験がなく、想像しただけで怖く、憂鬱になりました。そして、翌日、再びうんちが出ていない事を告げると、看護婦は浣腸を勧めました。僕は必死に抵抗をしました。
「食べていないのに出るわけがないでしょ?」
 ところがです。看護婦さんと浣腸をするかしないかで言い争っていると、なんと、うんちをもよおしてきたのです。そして、出るはずもないと思っていたうんちが出たのです。とても不思議でした。看護婦さんは、
「点滴をしていれば、うんちは出るのよ」
と話してくれましたが、僕には理解する事が出来ませんでした。何より浣腸を免れた事にホッとしました。
 入院をしていると、まるで挨拶のようにうんちの事を聞かれ、数日間、うんちが出ないだけでも、看護婦さんと浣腸をするかしないかで言い争いになりました。うんちがどれほど大切な事なのかを、僕は改めて思い知りましたが、19歳にもなってうんちの事で言い争う事になるとは思ってもみなく、とても恥ずかしく、情けなく感じました。
 結局、浣腸の話が出ると、まるで浣腸を抵抗するかのようにうんちが出ましたので、浣腸をする事は1度もありませんでした。

 点滴をしていると、おなかが空きませんでした。しかし、微熱が続いていたせいで喉はいつも渇いていました。友達や親戚の多くはお見舞いにお花と苺を持ってきてくれました。日頃、苺の酸味が苦手で好んで食べない僕も、この時ばかりは苺が美味しそうに見えて、食べたくて食べたくて仕方がありませんでした。
 絶食を始めて2週間が過ぎた頃です。あまりにも喉が渇くので、医師に、
「水分を口から摂りたい」
とお願いをしてみました。すると、医師は少し考え、渋々と許可を出してくれました。但し、条件付きでした。その条件とは、氷のキューブをガーゼに包んで吸うという事。そして、1日に2個までという事でした。1日に氷のキューブ2個は少なく感じましたが、とてもうれしくなりました。
 微熱のある身体に氷は冷たく、とても美味しく感じました。唯一の楽しみですから、午前中に1個、午後に1個と分けて楽しみました。いつも、「そろそろ時間だ」、「もうちょっと待ってみよう」、「ようし、なめるぞ〜!」と頭の中は氷の事で一杯でした。しかし、悲しい事に氷のキューブは、すぐに溶けてしまい、楽しみはあっと言う間に終わってしまいました。僕はガーゼに氷が無くなっても、名残惜しく吸い続け、そんな自分を情けなく感じました。
 氷を吸い始めて数日が過ぎた時、ある事に気が付きました。
「苺だって口の中で潰して、液体にして飲み込めば同じ事では?」
 早速、医師にお願いをしてみると、医師はすぐに許可を出してくれました。苺も1日に2個までと制限をされてしまいましたが、とてもうれしかったです。
 苺も氷同様に、午前中に1個、午後に1個と分けて食べました。苺はやはり酸味がありましたが、久しぶりに味の付いた物を口にし、とても美味しく感じました。苺を長く楽しもうと、飲み込まないように口の中で溜めましたが、氷と同様に楽しみはすぐに終わってしまいました。
 目の前には母が手にしたパック一杯の苺があります。そして、お見舞いでいただいたたくさんの苺が病院の冷蔵庫に保管されています。僕は苺を目の前にして、我慢する事など出来るはずもありませんでした。
「腐っちゃったら、勿体無いもんね」
 僕は必死に言い訳をして、2個が3個、3個が4個と食べる数を増やしていきました。勿論、誰にも内緒でした。でも、良いですよね? 唯一の楽しみで、たった数個の苺で、こんなにもしあわせな気持ちになれたのですから。
 苺でしあわせを感じていると、終に手術日が決まりました。手術さえ終えてしまえば何でも食べられるようになると、手術の怖さより喜びの方を大きく感じました。ところが、喜びは手術前に訪れました。なんと、手術を3日後に控え、食事が出たのです。
 食事が僕の病室へ届いた時、何かの間違いだと思いました。しかし、届けてくれた調理のおばさんが、確かに僕の食事だと言うのです。それでも僕は信じられず、看護婦さんを呼んで確かめました。看護婦さんもまた、連絡を受けていなかったようで信じられない様子でした。看護婦さんはすぐに調べてくれました。僕は待っている間、もう食事の事で頭の中が一杯でわくわくと心が躍りました。そして、終に医師が食事の許可を出したのだと分かったのです。
 看護婦さんは満面の笑顔で、
「千代さん、おめでとう。お食事の許可が下りたわよ」
と、病室へ飛び込んで来ました。僕はうれしくてうれしくて堪りませんでした。
 食事は重湯でした。水分たっぷりのドロドロのごはんは味も無く、「まずい!」の一言でしたが、うれしさのあまりゆっくりゆっくりと味わって食べました。
 手術が無事に終わりました。僕は手術さえ終わってしまえば、何でも食べられると思っていましたが、実際は傷口の痛みと麻酔による喉の痛みで食欲が全く湧きませんでした。食欲が出てきたのは手術後1週間ぐらい経った時でした。
 傷口の痛みや喉の痛みが和らぎ、また体調が戻りつつあると次第に重湯では物足りなくなりました。僕の悪知恵はまた働きました。硬いごはんでも口の中で軟らかくして食べれば同じ事です。早速、病院には内緒で、父と母にごはんを買って来てもらいました。それは約1ヶ月ぶりの本格的な食事でした。1口食べると味が口の中で広がり、思わず笑みがこぼれるほどしあわせな気分になりました。そして、2口、3口…。
「あれっ?」
 何か変な感覚がしました。僕はもう1度、ゆっくりごはんを噛んでみましたが、ごはんが上手に噛めないのです。何度も何度も噛んでみましたが、上あごと下あごが噛み合いませんでした。味にも問題がありました。父と母が日替わりで美味しい物を買って来てくれましたが、どれも味が濃く、僕が想像をしている味と違うのです。父と母に味見をしてもらいましたが、特におかしいという事もなく、美味しいと言うのです。風邪をひいたりすると、味覚がおかしくなったりしますよね。僕は手術を終えて間も無い事が原因だろうと思いました。
 久しぶりの食事という事で、僕はうれしくなり、次々とリクエストをしました。最初に食べたのは中華丼でした。少し塩辛く感じましたが、とても美味しく食べました。次に食べたのがカレーライスでした。カレーライスは僕の大好物です。辛党だった僕はとびっきり辛いカレーライスを食べたいと思いました。しかし、買ってきてもらったカレーライスは辛過ぎて食べる事が出来ませんでした(辛党のはずだったのに…)。どうしても美味しいカレーライスが食べたい僕は、母に中辛のカレーライスを作ってきてもらいました。しかし、それも辛過ぎたのです。そして、甘口。怪我をする前は「甘口なんて子供の食べ物だ」と馬鹿にしていましたが、信じられない事に甘口のカレーライスさえも辛く感じたのです。それでもなんとかして食べたいと思いましたが、最後まで食べる事は出来ませんでした。
 僕は病院に居ながら外食をしているようでした。この事はいつまでも病院側にばれないわけがなく、終に看護婦さんにばれてしまいました。しかし、看護婦さんは意外にも笑顔で、
「内臓が悪いわけではないですからね」
と、とても優しく、内密にしてくれました。病院で出ていたごはんはというと、わがままな僕に代わり、父と母が交代で食べてくれました。僕はそれを横目で見て、美味しいごはんを食べていました。看護婦さんは、
「どちらが病人か分からないですね」
と笑っていました。

 上下のあごが噛み合わなくなってしまったのは何故なのか?
 味覚が変わってしまったのは何故なのか?
 甘口のカレーライスさえも辛くて食べられなかったのは何故なのか?
 それは1ヶ月間、無味の氷と苺だけしか口にしなかった事で、あごの筋肉が落ち、味覚が敏感になったのだと思います。
 今では辛い物を再び食べられるようになりましたが、この時以来、甘口のカレーライスが好物になり、未だに甘口を食べています。
 なかなか1ヶ月間の絶食を体験した人はいないと思います。そういう意味では貴重な体験をしたと思いますが、もう2度と絶食をしたいとは思いません。

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