超能力

 僕が事故に遭ったのは大宮の駅前通でしたので、すぐに大宮の病院へ運ばれました。しかし、翌日、首の骨折が判明すると、大宮の病院では手に負えないという事で、急遽、浦和の病院へ転院をする事になりました。
 浦和の病院へ到着すると、僕は折れた首をけん引する為、頭蓋骨に2箇所、ドリルで穴を開けられ、回転ベッドに寝かされました。回転ベッドとは寝返りがうてない人が床擦れを起こさないように、定期的に仰向けからうつ伏せに寝返りをうたせる為のベッドです。方法は仰向けに寝ている人の上から、もう1つのベッドをかぶせます。ベッドでサンドイッチ状態にし、上下を180度回転させます。すると、うつ伏せになるという簡単な仕掛けです。ベッドの幅も人1人分と狭い為、回転しやすくなっています。僕は手術までの1ヶ月間を回転ベッドの上で過ごしました。
 僕は首の骨が折れている為、起き上がる事も首を曲げる事も出来ず、頭蓋骨に開けた2つの穴に金具を引っ掛け、首を伸ばす状態で寝かされていました。僕の視界には天井と、友達が持ってきてくれた花があるだけでした。6時間に1度はベッドを回転しますので、一瞬だけ横を見る事が出来ますが、あっという間に視界が床だけになってしまいます。友達が来ても目を見て話す事が出来ず、目が見えない事と同じ状態でした。
 首の骨折で中枢神経を傷め、五感のうちの触覚を失い、回転ベッドの上での生活は視覚まで失われたのも同然でした。味覚に関しても、首の骨が折れている為、食べ物を喉に詰まらせる危険性がある事から、絶食をしていました。残ったのは聴覚と嗅覚だけでした。怪我をするまで五感を頼りにしていましたが、そのうちの3つを失い、残りが2つになった途端、残りの2つが驚くほど敏感になりました。
 毎日毎日、天井ばかりを見て、どれほど経った時でしょうか。母が病室を訪れる足音が遠くから聞こえ、それがはっきり母だと分かったのです。確かに時間的に母が来る事は予想していました。そして、母の足音にも特徴がありました。しかし、もし、五感を普通に使えていたなら、母の足音を記憶する事はなかったと思いますし、遠くから聞こえた足音も聞こえる事はなかったと思います。
 時が経てば経つほど、僕の勘は鋭くなっていきました。一番驚いた事は足音が聞こえただけで、看護婦さんの名前と、その看護婦さんが僕の病室へ訪れるという行動が直感として分かり、それが当たった事でした。看護婦さんの足音だけで名前を当てるという事は、看護婦さんの足音を記憶するという事ですから不思議ではないと思いますが、行動まで当てるという事は理屈が分からず、とても不思議でした。
 この事を皮切りに、僕はベッドの上に居ながら足音や物音を聞くだけで、「あっ、○○さんが慌てている」、「今日はまだ顔を見せていないけど、××さんが働いている」と、看護婦さんの名前、行動が分かるようになりました。他にも隣の病室に何人ぐらい面会の人が来ているという事や、どの程度、具合が悪いという事、そして、病室の外の雰囲気も分かりました。
 聴覚だけではなく、嗅覚に関しても敏感になり、誰も気が付かない匂いや臭いに反応し、1人で臭い臭いと訴える事が多くありました。
 辛かったのは食事の匂いでした。僕は絶食中の為、何も食べる事が出来ません。何処からか漂う美味しそうな匂いに反応し、食欲を我慢する事が大変でした。
 病院を退院し、今に至っても、聴覚と嗅覚は敏感に働いています。現在は五感のうち、視覚、聴覚、味覚、嗅覚と、触覚を除く4つが使えますので、多少、鈍っていると思いますが、日頃、ベッドの上に居る時間が長い事や、何事か起きても(例えば火事や泥棒)、すぐに逃げられないという恐怖心から、常に聴覚や嗅覚を働かせています。
 自宅での生活を始めてから、毎回ではありませんが、新たに電話のベルが鳴った瞬間、掛けてきた相手を当てる事が出来るようになりました。直感が働く確率はそれほど高くありませんが、働いた時の的中率はとても高く、自分でも驚いています。ですから、電話のベルが鳴った瞬間、悪い予感がした時には電話に出ず、留守電にするようにしています。そして、声を聞き、相手を確認してから電話に出るようになりました。
 前にこんな事がありました。電話のベルが鳴った瞬間、高校時代の友達の顔が浮かんだのです。その友達とは5年ぐらい会っておらず、電話もしていませんでしたので、自分でもまさかと思いましたが、受話器からその友達の声が聞こえてきた時は驚きました。電話のベルは誰が掛けても同じ鳴り方ですよね。それでも5年ぶりに掛かった友達からの電話が分かったのですから、とても不思議でした。
 このような事は度々起こりました。しかし、考えてみれば驚く事ではないのかもしれません。あとで思い出したのですが、実は5年前まで、その友達から毎週日曜日の午後8時から9時の間に必ず電話が掛かっていました。5年ぶりに掛かってきた時も日曜日の同じ時間帯でした。5年という年月で、友達からの電話を忘れていましたが、きっと心の何処かで当時の事を記憶していて、同じ時間帯に電話のベルが鳴った事で、その記憶が甦ったのだと思います。

 僕は不自由な生活をした事により聴覚と嗅覚だけでも色々な情報を得られるという事が体験で分かりました。他にも、生活のリズムなど、あらゆる事から情報を得られるという事も分かりました。
 看護婦さん十数名の足音を記憶したり、他の部屋の食事メニューを当てたりと、一見、無駄な事にも思えますが、これが視覚やその他の感覚が使えない生活に順応する為の術だと分かり、改めて、「生命の力」の凄さを感じました。
 超能力と聞くと、スプーン曲げやテレパシーなどを思い出しますが、僕の体験もある意味、人間が持っている素晴らしい超能力だと思います。

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