プライド

 働けなくなり、何もせず、毎日ベッドの上でボ−ッと過ごしていると、
「僕はこんな事をしていても良いのだろうか?」
と考えるようになりました。
 社会は1人の人間だけが動かしているのではありません。パン屋がいて、靴屋がいて、本屋がいて、看護婦さんがいて、たくさんの人が様々な仕事をして1つの社会が成り立っているのです。社会では1人1人の力は限りなく小さく、僕1人が欠けようと何の影響も及びません。その事は分かっているつもりですが、実際に社会へ参加できなくなると、僕は世間に対して申し訳無いという気持ちでいっぱいになりました。
 社会の為に何も貢献できない僕が暖かい家に住み、美味しい物を食べている事が、本当に許されるのでしょうか? このままでは社会から疎外されてしまうと不安になりました。そして、次第に自分自身がクズ人間、社会のお荷物という意識を強く持つようになり、最後には、
「働けず、ただベッドの上で呼吸をしているだけの僕の存在価値って何だろう?」
と、自分が壊れて捨てられた錆びたロボットのように感じました。その辛さ、悲しみ、孤独は言葉で表現できない程の恐怖感でした。
 恐怖感は何度も何度も襲いました。生きていても、人に迷惑を掛ける事しか出来ない僕は、生きている事さえ申し訳なく思い、死を覚悟した事も何度もありました。その度、僕は救いを求めたいと思いました。
「お父さん、お母さん、助けて」
 しかし、この言葉は心の中で叫んだだけで、1度も口にする事は出来ませんでした。辛いのは僕だけではなく、両親だって辛いのです。僕は悲しいからと言って、両親に甘える事が出来ます。しかし、両親は辛くても、誰にも救いを求める事が出来ません。それが分かっていましたので、これ以上、両親に辛い思いをさせる事が出来ませんでした。時には我慢をしきれず、涙がこぼれてしまう事もありましたが、僕は出来るだけ笑顔で頑張りました。それは長い年月、続きました。
 そんなある日、友達が僕を救ってくれました。友達の発した一言が、僕に生きる勇気を与え、僕の存在価値を教えてくれたのです。
 友達は僕にこんな事を言ってくれました。
「千代さんの笑顔が元気をくれる」
 重い障害を持っていても、僕が笑顔で頑張っていると、友達は自分の悩みなど小さく思えるそうで、「千代さんが頑張っているのだから、負けずに頑張ろう」と元気が出ると言うのです。
 また、ある人は、
「千代さんは優しい気持ちにさせてくれる」
と言ってくれました。僕自身、障害者になって感じる事が多いのですが、みんなは僕に対し、とても優しい気持ちで接してくれます。その事を友達は、「千代さんがみんなの優しい気持ちを呼び起こしてくれる」と言ってくれたのです。
 この他にも、たくさんの人が色々とうれしくなる言葉を掛けてくれました。僕はうれしくてうれしくて、心の底から生きていて良かったと思いました。そして冷え切っていた心が温まるのを感じました。
 僕も少しは人の役に立っていたのですよね? 僕は身体が不自由になってしまいましたが、その代わりに人を元気にさせたり、優しい気持ちにさせたりする力を授かったのですよね? みんなの優しい気持ちが、僕の生きる大きな勇気になり、自信となり、「プライド」となりました。ここまで来た道のりは険しく、困難でしたが、今は喜びで一杯です。

 僕は今後も障害を背負って生きていかなければなりませんが、みんなが教えてくれた僕の宝物、「プライド」があるから、そして優しいみんなが僕のそばに居てくれるから、僕は強く生きていく事が出来ます。
 みんな、ありがとう!

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