僕の応援歌

 父が探してきてくれたドクターの手術を受ける為に渡米をして5ヶ月が経ちました。本来ならすでに手術を終え、帰国している予定でしたが、その時、まだ手術を受けられずにいました。渡米後、3週間で手術台に上がり、麻酔で眠らされましたが、メスを入れる場所にニキビがある事が原因で中止になってしまいました。ニキビの菌は毒性が強く、中枢神経に触れると死に至る危険性があるという事が理由でした。
 その日からニキビを治す治療が始まりました。治療と言っても患部に薬を塗り、抗生物質を飲むだけで、20歳の僕にあまり効果はありませんでした。家族は次から次へと現れるニキビに苛立ちを隠せませんでした。
 毎日、何もする事がなく退屈の連続でした。昼間は散歩に出掛けたり、買い物へ出掛けたりもしましたが、夜は日本と違い、治安が悪いので外出は出来ません。部屋に閉じこもり、時間があると物事を悪い方向に考えてしまい、不安ばかりが募りました。特に父は僕と母に頼られる身で、不安や怒りをぶつける場所がなく、イライラするようになっていました。次第に些細な事から喧嘩が始まり、本当なら力を合わせなければならない大切な時に3人の心は離れ、常に険悪な雰囲気が漂っていました。
 僕は1人でベッドルームに居る事が多くなりました。夕方、西日が射し込み、部屋が赤く染まると、決まって童謡の「あかとんぼ」が頭の中で流れ、楽しかった子供の頃の記憶が蘇りました。そして、沈む太陽を目で追うと、父が手術を諦め、「日本へ帰ろう」と言い出すのではないか…。このまま家族がバラバラになってしまうのではないか…。僕の身体は本当に元に戻るのだろうか…。と、不安が次々に襲いました。

 当時の楽しみと言えば、友達と話す事と音楽を聴く事でした。音楽をヘッドホンステレオで大音量にして聴くと不安を紛らわせる事が出来ました。
 音楽は洋楽を好んで聴きました。当時の流行りはシンディ・ローパー、マドンナ、ワム、バングルス、その他にも大勢いました。どの歌手も大好きですが、一番のお気に入りはシンディ・ローパーでした。奇抜なファッションと魅力ある独特な歌声が大好きでした。
 シンディの曲を繰り返し繰り返し聴いていると、部分部分ですが自然と歌えるようになり、歌詞も理解出来るようになりました。特に歌いやすく、理解できた曲は「TRUE COLORS」というバラードでした。それまでは心が落ち着く良い曲だなぁと思い、意味も分からず聴いていましたが、歌詞を理解し始めると、内容の素晴らしさに気付き、すぐに聞き取れない歌詞を知りたいと思いました。歌詞カードには歌詞が英文で書かれていました。分からない単語を辞書で調べながら訳し、歌詞を理解するに連れ、涙で歌詞がぼやけてしまいました。
 歌詞を理解して聴くと、一層、心に響きました。
 歌詞の内容と僕の心境がマッチし、特に最後の一節をシンディが優しく語り掛けるように歌うと、まるで大好きなシンディが僕を慰めてくれているような錯覚を起こしました。それが錯覚だと分かっていても、「シンディが僕の為に歌っているんだ。シンディが応援してくれるのだから僕は負けないぞ!」と勇気が湧きました。そして、不安や困難にも負けないで立ち向かう事が出来ました。
 部屋を暗くし、目を閉じ、曲を聴きながら喜びを噛み締めると、涙が次々と溢れました。涙の後はまるで不安までも洗い流してくれたかのように心が晴れました。

 現在、「TRUE COLORS」を聴くと、当時の辛かった頃を思い出し、胸がジーンと熱くなります。当時の自分と今の自分は心境が違い、歌詞の受け取り方も違いますが、今でも同じように涙が溢れます。その涙はとても心地良く、障害があろうと無かろうと恥じる事はない、飾る必要もない、ありのままの自分で良いんだ! と、僕を元気にしてくれます。

 「TRUE COLORS」は僕の応援歌です。

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