なるとのしあわせ

 「一生車椅子」と告知をされた瞬間から、「僕は世界一の不幸者」だと絶望感に襲われました。絶望の中で見える物は不幸ばかりで、しあわせなど何処にも見当たりませんでした。しかし、時間が流れ、障害を少しずつ受け入れる事が出来るようになると、次第に小さなしあわせを感じるようになりました。
 小さなしあわせとは、普段、何処にでも転がっているようなしあわせの事です。このしあわせをテーマに詩を書いてみましたので読んでみて下さい。

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「なるとのしあわせ」
 白くて、まわりがギザギザで、見ていると目をまわしそうな渦巻模様のなると。
 子供の頃、なるとの入っていないラーメンはラーメンと認めなかった。
 本物のラーメンには、チャーシューが無くても、メンマが無くても、たまごが無くても、海苔が無くても、わかめが無くても、なるとが入っている。
 食べても、あまりおいしいとは言えないが、たった1枚のなるとが、子供心をわくわくと躍らせた。
 大人になると、なるとのしあわせを感じる事が出来なくなる。
 それは、何故だろう?
 それは、しあわせをお金で買おうとする罰なのかもしれない。


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 子供の頃を思い出してみて下さい。ラーメンにたった1枚のなるとが入っているだけで、心が躍りませんでしたか? お父さんやお母さんのどんぶりから、なるとを分けてもらうと、心が一層躍りませんでしたか? そして今でもなるとのしあわせを感じる事が出来ますか?
 僕自身、この小さなしあわせを感じる気持ちを忘れていました。それは平凡な生活に飽き飽きし、刺激を求めていた結果だと思います。しかし、障害者になり、世の中の全てが不幸に思えた時、平凡こそが1番のしあわせだと気付きました。高価なバラだけが花ではありません。道端に咲く小さな花だって心を癒してくれます。ブランド物の香水だけが良い香りとは限りません。近所から漂うカレーの匂いに心が躍ります。ウグイスやヒバリの声だけが美しい鳥のさえずりではありません。静まり返った夜明けの街に響くスズメのさえずりは気持ちを爽やかにしてくれます。
 本当にささやかですが、しあわせって身の回りにたくさん転がっていると思います。僕は今の気持ちをいつまでも大切にし、たくさんの小さなしあわせを感じながら生きていきたいと思います。

 机の引出しを覗いてみて下さい。
 子供の頃、宝物にしていた「どんぐり」が出てくるかも…。

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