なんでやねん!

 リハビリセンターに入所していた時の話です。
 今となっては何の薬だか覚えていませんが、この当時は朝晩に数錠の薬を飲んでいました。薬は決められたとおりに飲まなければなりません。この事がきっかけで信じられない事が起こりました。
 リハビリは学校の時間割のように決められた曜日と時間で行われています。この日は朝一番からOT(作業療法)の訓練があり、朝食を食べ終えると慌しく仕度をし、OT室へ向かいました。朝一番に訓練がある日は少し早めに起きれば良いのですが、この当時は、「一生車椅子の生活です」と告知をされたばかりで、将来の不安などから夜が怖くて眠れず、外が明るくなり始めた朝方から安心して眠れていましたので、朝はなかなか起きる事が出来ませんでした。
 慌しい朝は何かしら忘れものをしがちです。この日は薬を飲むのを忘れてしまいました。すると、訓練中だというのに看護婦さんが息を切らし、OT室へ駆け込んで来ました。
「訓練中にすみません。千代さんの薬を持って来ました」
 薬をあまり重要視していなかった僕は、「何もここまで持ってこなくても良いのに」と思いました。しかし、せっかく看護婦さんがOT室まで持って来て下さったのですから飲まなければいけないと思いました。
「えっ、まさかそれで飲むの?」
 看護婦さんの手を見て愕然としました。看護婦さんの手には薬、もう片方の手には水の入った検尿コップがありました。今、この時の事を思い出しても、「なんでやねん!」と、何故か関東育ちの僕が関西弁で突っ込みたくなるほどの衝撃でした。
 看護婦さんは平然としながら答えました。
「どうして? まだ使っていないから汚くないよ」
「そんな事はあったりめぇじゃん! 1度でも使っていたら気持ち悪いよ。使っていなくても気持ち悪いのにぃ」
 いくらなんでも検尿コップを使うのは常識で考えても間違っていると思いました。しかし、看護婦さんが言っている事も理解出来ますし、あっけらかんとしている看護婦さんの態度を見て呆れてしまい、怒りよりも笑い(苦笑)が出てしまいました。
「気持ち悪いかなぁ。普通の紙コップと同じだよ」
 そんな事は言われなくても、僕だって分かります。
「普通の紙コップでも、それが検尿コップなら気持ち悪いと感じるのが当たり前の感情でしょ」
「そう? 他の看護婦達も当たり前のように使っているよ。みんな感覚が麻痺しちゃっているのかなぁ。職業病かもしれないね」
 看護婦さんはそう言って笑いながら、時間がない為、なおも飲まそうとしました。僕は検尿コップと看護婦さんの顔を交互に見て、少しでも抵抗しようと思いましたが、隣で僕と看護婦さんのやり取りを黙って見て、終わるのを待っていて下さるOTの先生に気付き、「あ〜、これ以上先生を待たせるのは申し訳ない・・・。どうしよう・・・」と思いました。
 結局、仕方なく検尿コップで薬を飲む事にしました。自分に、「これはただの紙コップだ!」と言い聞かせましたが、コップの中にはメモリが描かれており、それがすぐ目の前にくるので、とてもただの紙コップとは思えませんでした。水も心なしか黄色っぽく見え、複雑な気持ちでした。
 いつもより少ない水で薬を飲み込むと、OTの先生がニヤリとして一言。
「お味はいかがですか?」
 この時、先生は僕と看護婦さんのやり取りを面白おかしく見ていたのだと分かりました。僕は先生を待たせては申し訳ないと思い、我慢して検尿コップで飲んだというのに、なんでやねん!
 この時に感じた苦味は薬の味だったのでしょうか?

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