2002年

 kakkoさんのホームページ上で原稿を書かせて頂くようになってから、毎年、その1年を振り返る原稿を書いています。今までに「2000年」、「2001年」と書かせて頂き、その度に今年は人生最良の年になったと噛み締めながら書いてきました。そして今年もまた同じ気持ちで書く事が出来ます。
 今年は長年の夢だった本の出版をする事が出来ました。最初に本を出版したいと思ったのが昭和63年頃でしたので14年掛かった事になります。理系だった僕には文章力などありません。当時は原稿を書き始めると2,3日で熱発や頭痛を引き起こしてしまい、なかなか筆が進みませんでした。また、書き上がっても小学生の作文以下でとても文章とは思えないものでした。普通ならそこで夢をあきらめてしまいがちですが、やはり出版という夢は僕にとって大きなものだったのだと思います。少しずつですが、今に至るまで勉強をしてきました。中学生の頃から本が好きで読んでいましたが、それからは文章の書き方を研究しながら読みました。作文や小説コンクールにも挑戦しました。賞を獲ったのは平成5年の銅賞のたった1度だけでしたが、そのうれしい思い出が今回の出版にも繋がったのだと思います。14年間は長かったのか短かったのか、僕には分かりませんが頑張って来て良かったと思っています。
 出版の話は2001年の秋に出版社の方からいただきました。打ち合わせを行ってもまるで夢のような話でしたので、毎朝目覚める度に夢でない事を祈るほどでした。本にするには原稿が足りませんでしたので、足りない分を2月いっぱいまでに書き上げて下さいと頼まれました。それは僕にとって大変な作業でしたが、長年の夢が叶うのですから頑張る事が出来ました。そして頑張れた事にはもう1つの理由があります。それは2月いっぱいに書き上げる事が出来れば、その後、校正などの作業を行っても5月には出版出来るという事でした。5月には母の誕生日があります。なかなか親孝行が出来ない僕は母の誕生日に出版をしたいと思っていたのです。
 本の見本が完成したのは5月17日でした。初めて自分の本を手にし、涙が浮かびましたが、出版社の方がいらっしゃる前で恥ずかしかったので、必死に堪えました。その晩、喜んでいる所へ電話が掛かりました。それは「同士」という原稿で書いた孝久君のお母様からでした。その内容にビックリ! 孝久君が書き残した原稿が本になるという報せでした。こんな偶然ってあるのでしょうか? 僕と孝久君は出版という同じ夢を持っていました。僕の本の方が先に出来上がりましたが、同時に夢が叶ったという思いで喜びも倍増しました。やはり僕と孝久君はいろんな意味での同士です!
 本が完成してからは新聞社、テレビ局、ラジオ局と宣伝に回りました。初めての経験でとても楽しかったのですが、取材は大変でした。質問に対し、すぐに答えが浮かばず、また、テレビやラジオは姿や声までもが流れてしまうので緊張しました。栃木県内ではあらゆるメディアに出させて頂いたのですがうれしいやら恥ずかしいやら(笑)。メディアに出るようになってから街中へ出ると、見知らぬ方から声を掛けられるようになり、これがまたうれしい事でした。
 5月29日は母の誕生日です。この日に本を出版しました。その晩、母から「今までの誕生日の中で最高の誕生日になった」と言ってもらい、僕の出版を喜んでもらえた事がうれしかったです。
 本が出版されると講演の依頼がくるようになりました。今年は8回の講演を行いましたが、そのどれもが良い思い出となりました。初めての講演は大阪高槻市でのkakkoさんの講演会で、kakkoさんの講演の前に15分ほど話をさせて頂きました。軽い気持ちで引き受けたものの講演日が近付くと緊張してしまい、あとになって後悔をしました(笑)。講演の内容は母に対する感謝の気持ちで、その時に書き終えたばかりの「ぬくもり」という原稿を元に話しました。今まで母に「ありがとう」という言葉が言えませんでしたので、この機会に言おうと思ったのです。しかし、ただでさえ皆さんの前で緊張をしているというのに、母に「ありがとう」を言うとなると余計に緊張してしまいました。いよいよ「ぬくもり」の原稿を読み上げる時になると、一気に口の中が渇いてしまい話せなくなってしまいました。ふと横を見ると水がありましたが、それはkakkoさんの為に用意された物でした。一度はあきらめようかと思いましたが、どうしても話しにくく、新たに水を要求し会場の笑いを誘ってしまいました。水で口の中を潤してから母に「ありがとう」を言いました。母には講演会で話す内容を話していませんでしたので驚いていました。母に「ありがとう」を言えた事、そしてkakkoさんとのジョイント講演になった事で、うれしい講演デビューになりました。
 その後の講演会は学校関係が主でした。小学校全児童の前で話した時は大変でした。1年生に話を合わせれば6年生が飽きてしまうし、6年生に話を合わせれば1年生には難しくなってしまいます。出来るだけ全児童に訴えたつもりでしたが、1,2年生は横を向いたり、後ろを見たりしていて、どこまで理解してもらえたか不安でした。もう二度と小学生の前で講演をしたくないと思いました。しかし、後日、全児童から感想文が届き、それを読んで僕の訴えたい事が想像以上に伝わっていた事が分かりうれしくなりました。機会がありましたら、是非また話したいと思いました。他にも講演を行う度、うれしい感想や出会いがあり、講演を出来る事が喜びへと変わっていきました。
 出会いもたくさんありました。皆さんと出会えた事1つ1つが僕の財産です。今年出会った有名な方と言えば歌手の李政美(いぢょんみ)さん、絵本作家のいわむらかずおさん、まだメールを2,3度しか交換していませんが作家の朴慶南(ぱくきょんなむ)さん、そしてTBS「ガチンコ」の「ファイトクラブ」に出ている2期生藤野大作君です。政美さんの歌声は綺麗でした。いわむらかずおさんの目はとても優しかった。慶南さんの文章も素敵でした。大ちゃんの夢に賭ける想いは感動的でした。皆さん、有名でもスター気取りをしたり、威張ったりする事がない素敵な方達ばかりでした。うれしい出会いがたくさんあり、来年はどんな方と出会えるのか、今から楽しみです♪
 今年は午(うま)年で僕は年男でした。そして平成14年で、14という数字は僕のラッキーナンバーです。昨年から今年は絶対僕の年になると信じていました。しかし、良い年になるのを待つのではなく、自分の力で良い年にしようと努力しました。その結果、36年間の人生の中で最高の年になりました。筆が進まなかったり、講演会で緊張をしたり、苦しい事が多くありましたが、最後には全て喜びに変わりました。
 今年もうれしい事がたくさんありましたが、その中でも一番良かったと思う事は、やはり母に「ありがとう」を言えた事でした。kakkoさん、そして僕を応援して下さった皆さん、本当にありがとうございました。来年もまた頑張りますので応援をして下さい。宜しくお願いします。

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