こゆびと

 僕は2000年4月からkakko(山元加津子)さんのホームページ「たんぽぽの仲間たち」で、原稿を書かせて頂いています。最初は「僕が書いた原稿など誰が読んで下さるのだろう?」と不安でいっぱいでしたが、今では原稿を発表する度に、たくさんの方から感想を寄せて頂けるようになりました。
 初めて感想を寄せて下さった方は、kakkoさんと同じく養護学校の先生をしていらっしゃる福岡県の方でした。福岡県と言えば九州です。インターネットの時代、距離など関係ないのかもしれませんが、栃木県からは遥かに遠い場所です。感想が届いたという事だけでも飛び上がるほどうれしく感じましたが、そんなに遠くの場所でも僕の原稿を読んで下さった方がいらっしゃった事に大感激しました。
 感想の1つ1つが原稿を書く上で大きな励みになります。そして感想を寄せて下さった方達とお友達になれる事もとてもうれしい事です。お友達は九州、四国、本州にたくさん出来ました。北海道と沖縄県には、まだお友達が出来ませんが、これからも頑張って原稿を書いて、kakkoさんのように日本中にお友達を増やしていきたいと思っています。
 お友達になれた方の中に千里ちゃんという女の子がいます。千里ちゃんは身体に障害があり、熊本県の養護学校に通っています。出会いのきっかけは、千里ちゃんの担任の先生から届いたメールでした。
「千代さんの『プライド』という原稿を保護者の方にお配りしても良いですか?」
 その有り難いお言葉に、すぐに「是非、読んで頂きたいです」と返事を書きました。すると数日後、メールではなく、1通の手紙が届きました。その手紙の差出人が千里ちゃん(当時10歳)でした。手紙の内容は千里ちゃんのお母さんが書かれていました。
「千代さんの『プライド』を読み、千代さんと我家の宝子である娘(千里)と重なりました。我家の宝娘にも障害があり、全介助を必要とする子ですが、この子がすごいのです。千代さんが周りのたくさんの人達に芽生えさせている優しい気持ちを千里も芽生えさせ、気付かせてくれています。毎日の生活の中で、人としての心、私を親として育ててくれるのも千里なのです」
 僕はその手紙の内容に感動し、少しずつ涙が浮かび始めました。
 手紙の最後には、
「娘が竹和紙で作った葉書です。使って下さい」
と書かれていました。葉書は手紙と一緒に同封されていました。
 千里ちゃんが不自由な身体で一所懸命に作ってくれた葉書から手作りの温かさを感じました。そして千里ちゃんの愛情や優しさ、上手く言葉では表現できませんが、とても価値あるものを感じました。その途端、浮かんでいた涙が終にこぼれました。「使って下さい」と書いてありましたが、使う事など出来るはずもありません。その葉書をギュッと胸に押し当てて、僕の宝物にする事に決めました。
 竹和紙で作った葉書の他にも、たくさんの千里ちゃんの写真や、「よろしく ちさと」と千里ちゃんがお母さんと一緒に書いてくれた紙が同封されていました。その1つ1つが最高のプレゼントでした。僕はそれらをいつでも目に入る場所へ置いておきたくて、早速、額を買ってきて飾りました。
 千里ちゃんはとても可愛い顔をしています。特に目が綺麗です。とても愛しく感じ、すぐに熊本へ会いに行きたいと思いました。しかし、熊本県は遠過ぎます。なかなか会いに行く事が出来ない僕は、定期的に電話を掛けてお話をする事にしています。
 千里ちゃんとお話をすると言っても、千里ちゃんは言葉を話せません。言葉にはなりませんが、千里ちゃんは声を出し、何かを訴えようとします。それが僕と千里ちゃんの会話です。しかし、最初の頃はなかなかお話をしてもらえませんでした。僕が話し掛けても、聞こえてくるのは千里ちゃんの呼吸の音だけでした。千里ちゃんのお母さんの話では、担任の先生やお友達からの電話だといっぱいお話をするそうです。しかし、聞き覚えのない僕の声には、「誰だろう?」と考えているのだと思いますという事でした。
 千里ちゃんのお母さんから、僕の声を早く千里ちゃんに覚えさせたいと、僕の声をテープに録音し、送って欲しいとお願いをされました。しかし、僕は何を話したら良いのか分かりませんでした。千里ちゃんのお母さんから、絵本の読み上げを提案されましたので、近所にある絵本作家いわむらかずおさんの美術館で絵本を買い、読み上げた声をテープに録音しようと考えました。しかし、恥ずかしさもあり、未だに実現できずにいます。
 テープと同時に写真もくださいとお願いをされました。それもまた恥ずかしかったのですが、写真は送る事にしました。送った写真は、僕が18歳の時に横浜の山下公園で海をバックに撮ったものでした。すると千里ちゃんのお母さんは面白い方で、その写真で合成写真を作り、千里ちゃんが学校で使っている連絡帳に貼り付けられました。後日、その連絡帳のコピーを送って頂きました。すると僕の隣には千里ちゃんの姿があり、海の部分には浮き輪で泳ぐ千里ちゃんの姿がありました。とても面白い発想で、思わず笑ってしまいました。千里ちゃんの学校でも、先生方や他の保護者の方に大うけだったそうです。そこまでして下さる千里ちゃんのお母さんの気持ちをとてもうれしく感じました。
 僕の声は千里ちゃんに、なかなか覚えてもらえませんでしたが、「千代さん」という言葉は覚えてもらえたようです。ある日、千里ちゃんの担任の先生からメールが届きました。
「ちいちゃんは今日11時半頃登校しました。車から降りるときに、ちいちゃんのお母さんと千代さんのお話をすると、ちいちゃんが笑ったのでちょっと驚きました。「千代さん」という言葉でわかったのか、なんだかわかっているふうでした」
 僕は「千代さん」という言葉で、千里ちゃんが笑ってくれた事をとてもうれしく思いました。そして、「僕の事が分かるのかなぁ。分かって欲しいなぁ」と思いました。例え僕の事を分からないとしても、「千代さん」という言葉が千里ちゃんにとってうれしい響きになってくれたなら、それだけでもうれしい事だと思いました。
 千里ちゃんには純一君というお兄さんがいます。みんな純兄と呼んでいます。僕も純兄とメールの交換をした事がありますが、この純兄がとても好青年なのです。2001年春に高校を卒業した純兄は看護士を目指す為、看護学校に入学をしました。その志学理由が、「少しでも千里の吸引が上手になりたい」という事だったそうです。なんて妹想いのお兄さんだろうと思いました。
(吸引とは喉に溜まった痰を、管を使い取り除いてあげる事です。千里ちゃんは痰のからみが多く、呼吸がしづらくなる為、頻繁に吸引をしなければなりません)
 ある日、まだ高校生だった純兄が、「今日は俺が千里と寝る」と言って、千里ちゃんを自分の部屋へ連れて行ったそうです。しばらくして、千里ちゃんのお母さんが様子を見に行くと、純兄は次のような事を言ったそうです。
「僕の心は千里に育ててもらっている。千里には感謝をしている。本当にありがとう」
 そう言うと、純兄の腕枕で眠る千里ちゃんのほっぺにチューをしたそうです。そして、
「いろいろと気付かせてくれるけん嬉しか! 千里が居てくれたお蔭よ」
と、真剣な顔でしみじみと話したそうです。そこまで言える純兄はとても立派です。そして千里ちゃんのお母さんから届いた手紙にも、
「毎日の生活の中で、人としての心、私を親として育ててくれるのも千里なのです」
と書いてありましたが、千里ちゃんのお母さんや純兄にそこまで言わせてしまう千里ちゃんは本当にすごいと思いました。そんな千里ちゃんと知り会えた事を、僕は誇りに思います。
 千里ちゃんのお母さんから届いたメールにこんな事が書いてありました。
「千里は千代さんの小さなこゆびとです」
 きっと、「小さなこいびと」と書きたかったのだと思います。しかし、「こゆびと」という音の響きがとても可愛くて、僕は気に入りました。千里ちゃんのイメージにもピッタリだと思いました。
 千里ちゃんは僕の小さなこゆびとです。これからもずっとずっと仲良くしていきたいと思っています。

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