2001年

 2001年もkakkoさんのホームページ上で原稿を書かせて頂く事が出来ました。読んで下さった方から感想のメールがたくさん届き、近い所では車で15分ぐらいの所から遠い所では九州の宮崎県まで、たくさんの方とお友達になる事が出来ました。メールの交換が始まると、どんどん親しくなり、「千代さんに会いたい」と、皆さんがおっしゃって下さいました。中にはお会いする事が出来た方もいらっしゃいましたが、ほとんどの方とはお会いする事が出来ませんでした。それはやはり距離の問題でした。今までは世界地図を広げると、日本はなんて小さな国なのだろうと感じていましたが、2001年は、「こんなに日本は広かったっけ?」と感じた年になりました。
 2002年はどなたとお会い出来るのでしょうか? 2002年もたくさんの方と知り合い、たくさんの方とお会い出来る事を楽しみにしています。

 僕の夢は本の出版です。ここ数年、元日に立てる1年の計画の中には必ずそれがありました。夢はやはり夢でしかなく、なかなか叶える事が出来ませんでしたが、2001年はその1歩となる小冊子を作って頂く事が出来ました。小冊子を作って下さった方は「天使ちゃん」さんです。「天使ちゃん」さんとは2001年の春に出会い、夏に小冊子のお話をいただきました。
 僕の原稿を小冊子にする時、1つ問題がありました。それは著作権の問題です。僕は著作権を気にも留めず、「僕の応援歌」という原稿の中で、シンディ・ローパーの「トゥルー・カラーズ」という曲の歌詞を載せていました。ある日、有名な歌手のマネージャーさんから著作権について助言をして頂きました。そして慌ててホームページから「トゥルー・カラーズ」の歌詞を削除しました。その後、マネージャーさんから著作権の許諾を得るように勧められましたが、何も解からないという事と、ちょうど「同士」という原稿を書いていて他の事に頭が回らないという事が理由で歌詞を載せる事を諦めてしまいました。しかし、そんな時に皆さんが僕に力を貸して下さったのです。著作権を許諾する方法を調べ、直接メールをくださる方やkakkoさんのホームページの掲示板で書き込みをして下さる方が何人もいらっしゃいました。僕は皆さんの優しさがうれしくて堪りませんでした。皆さんの優しさを無にする事が出来ず、自分でも不思議なくらい力が出ました。そして著作権を許諾して頂くまでに至り、小冊子に載せる事が出来たのです。(ホームページ上での許諾は著作権協会の方で行っていない為、ホームページに載っている「僕の応援歌」には歌詞を載せる事が出来ませんでした)
 最初に計画した小冊子の発行部数は30部でした。やはり僕の心の中には、「誰がお金を出してまで僕の原稿を読んで下さるのだろう?」という思いがありました。しかし、ホームページ上で宣伝を始めると、注文数が予定数をあっと言う間に超えてしまいました。発行部数を60部、100部と増やしていき、200部あれば間に合うだろうと思い、製作に入りましたが、その200部でさえも間に合いませんでした。
 小冊子の値段は「True Colors」を300円、「同士」を250円に設定しました。小冊子発行の目的は儲ける事ではなく、1人でも多くの方に読んで頂く事でしたので、値段は制作費とギリギリに設定しました。しかし、それは大きな誤算でした。最初は印刷から製本までを全て手作りで行う予定でしたので、300円で作れる予定でしたが、急きょ「同士」の発行も決まり、各200部ずつの製作は手作りでは不可能になりました。その結果、印刷屋さんへ製本をお願いする事になり、大きく予算をオーバーしてしまったのです。しかし、それでも僕は大満足でした。それ以上にお金では買えない大きな物をたくさん得たと感じたからです。
 小冊子が完成し、手元へ届いた時は驚きました。想像以上の完成にその感動は忘れられません。そして「天使ちゃん」さんから小冊子のお話をいただいた時、「千代さんの原稿をネットでしか読めないのは勿体無い。パソコンを持っていない人達にも読んで頂きましょう」と言って頂いたのですが、小冊子が売れて、初めてその意味が分かりました。実は最初、僕は「天使ちゃん」さんのおっしゃっている意味が良く分からず、単に小冊子にして頂ける事を喜んでいました。しかし、小冊子が売れると、パソコンを持っていない方から想像以上に反響があったのです。「天使ちゃん」さんがおっしゃっていた事はこういう事だったのかと分かり、改めてうれしくなりました。そしてうれしい事は更に続きました。200部では足りなくなり、思い切って300部増刷しようと計画をしていた時、出版社の方から本の出版の話をいただいたのです。その報せはkakkoさんからありました。kakkoさんから電話が掛かり、「千代さん、おめでとう! 出版社の方が千代さんの原稿を本にして下さるって。バンザ〜イ!」と教えて下さいました。その時はうれしいのと信じられないという気持ちが混ざり合い、「一体自分の身に何が起こっているのだろうか?」という感じでした。混乱していてもうれしいという気持ちだけは感じていました。自分では泣いていないつもりでしたが、気が付くと涙が一筋こぼれていました。
 小冊子作成を振り返ると大変な事がたくさんありました。「天使ちゃん」さんも僕も初めての経験でしたので、物事がすんなりと運ばない事ばかりでした。しかし、最終的には出版社から本を出して頂けるまでに至りました。
 2002年初夏、本の出版という僕の夢が叶います。これも皆さんが僕の原稿を読み、応援をして下さるお陰です。本当に僕は皆さん1人1人に支えられているなぁと思います。本当にありがとうございます。2002年もたくさん原稿を書き、皆さんに読んで頂きたいと思います。是非これからも応援をして下さい。宜しくお願いします。

 最後に2001年は、2000年に34歳という若さで亡くなった親友孝久君の事を「同士」というタイトルで原稿にする事が出来ました。孝久君が亡くなり、すぐに原稿に書きたいと思いましたが、次から次へと書きたい事が頭に浮かび、なかなかまとめる事が出来ませんでした。「天使ちゃん」さんから小冊子の話をいただいた時、孝久君の一周忌までに2ヶ月間しかありませんでしたが、何とか書き上げ、小冊子を孝久君に捧げたいと思いました。原稿を夢中になって書き、体調を崩す事は毎度の事です。その度に休みをとって体調を整えるのですが、その時は書き上げる事ばかりが頭にあり、休む事が出来ませんでした。残念ながら小冊子を一周忌までに完成させる事は出来ませんでしたが、ホームページ上では一周忌までに原稿を発表する事が出来ました。
 「孝久君は僕の原稿をどのように感じたかな?」などと、たまに考えたりしますが、孝久君の事を原稿に書けた事も2001年の良かった事の1つです。

千代さんの気持ちのページへ

「なかまたち」のページへ

メニューへ戻る

inserted by FC2 system