同士
(もうひとつのお話)

 孝久君と出会い、ロサンゼルスで2ヶ月間強、一緒に生活をしていた頃の話です。アパートの近所にある日本のお店では日本のテレビ番組を録画したビデオが貸し出されており、僕も孝久君もそれを借りてきては楽しんでいました。
 ある日の午前中、僕がフジテレビの「さんまのまんま」という番組を観ていると、そこへ孝久君が現れました。孝久君は「さんまのまんま」のゲストがプリンセス・プリンセスだと分かると、奥居香(現 岸谷香)さんを指差し、
「この子と同級生だったよ」
と話してくれました。僕はその日、プリンセス・プリンセスの存在を初めて知りましたので、それがどのくらいすごい事なのか分かりませんでしたが、テレビに出ている人と同級生という事に驚きました。
 僕は奥居香さんが孝久君の同級生という事だけでプリンセス・プリンセスに興味を持ち、奥居香さんの話を聞きたいと思いました。しかし、孝久君はプリンセス・プリンセスが昔、赤坂小町という名前で活動していた事やメンバー1人1人がオーディションによって集められた事などを教えてくれただけで、奥居香さんの事になると、あまり話してくれませんでした。孝久君の様子を見ていると、あまり話したくないのか、それとも、同級生でもあまり知らないのか、理由は分かりませんでしたが、雰囲気的にこれ以上、聞かない方が良いと思いましたので、すぐに聞くのを止めました。しかし、孝久君が話したくなかった理由が照れだったという事が、あとで分かりました。
 孝久君が1回目のガンを克服してから3年が経った頃、僕は栃木県へ引っ越しをしました。その時、孝久君が新しい家へ泊り掛けで遊びに来てくれて、2人で近くにある塩原温泉へドライブに出掛けました。その車中で奥居香さんの話になり、その頃は僕もプリンセス・プリンセスをよく知っていましたので、奥居香さんの話を聞かせて欲しいなぁと思っていたら、孝久君の方から色々な話をしてくれました。その中で学生時代に奥居香さんに恋心を寄せていた事も話してくれました。奥居香さんとは小学校と中学校が同じで、中学校時代にはクラスが同じで席も隣同士だった事があったそうです。そして、2人だけで「宇宙船艦ヤマト」の映画を観に行った事もあったそうです。しかし、想いを伝える事は最後まで出来ず、恋心は実らなかったと話してくれました。
 僕は孝久君に、
「奥居香さんに連絡を取ってみては?」
と話しました。しかし、孝久君は、
「今頃、連絡を取っても相手が迷惑をするだけ」
と聞く耳を持ちませんでした。そして、孝久君が再発をして、ガンと闘っている時にも、
「孝久君がこれだけ頑張っているのだから、奥居香さんも迷惑なんて思わないよ」
と何度も話してみましたが、孝久君は最後まで連絡を取りませんでした。
 孝久君が亡くなり、孝久君の意思を尊重しようかとも思いましたが、孝久君の本心は連絡を取りたかったはずですし、奥居香さんも孝久君と親しかったのでしたら、悲しいニュースでも知らせて欲しいと思うに違いないと思いました。そして、僕は奥居香さんにメールを書きました。
 数日後、奥居香さん本人から返事のメールが届きました。そこには僕宛の手紙と孝久君に宛てたメッセージが書かれていました。奥居香さんは孝久君の死をとても驚かれた様子でした。僕宛の手紙には孝久君の闘病を御自分の人生と比較され、孝久君の苦しかった事を想像し、その気持ちが表現されていました。そして、孝久君の思い出も書かれており、奥居香さんも孝久君を良い友達として思っていてくれた事を感じました。孝久君が連絡を取らなかった事については、連絡を取って欲しかったと書いてありましたが、同時にそれが孝久君らしさだと分かっていたようで、読んでいてとても感動しました。
 孝久君宛てのメッセージもとても感動的でした。出来る事なら奥居香さん、孝久君の御家族に許可を取り、ここに載せたいとも思いましたが、メッセージは孝久君だけの物ですので、孝久君の気持ちを考え、載せる事を控えました。孝久君へのメッセージを載せる事は出来ませんが、僕は読ませて頂いて、本当に2人は仲が良かったのだなぁと感じました。そして、文面からも優しさを感じましたが、亡くなった孝久君へどんな気持ちでメッセージを書いて下さった事か、その気持ちを思うと、奥居香さんの優しさに感動し、とてもうれしくなりました。
 連絡を取らなかった事は孝久君の優しさですが、もっと強引に連絡を取るように勧めていれば良かったと思いました。せめて、最後に1度でも良いですから、奥居香さんに会わせてあげたかったです。
 奥居香さんに連絡をした事を孝久君に怒られてしまうかもしれませんが、今はきっと天国で奥居香さんから届いたメッセージを読んで喜んでくれていると思います。
 奥居香さん、ありがとうございました。

 最後に・・・
 この原稿を書きながら、プリンセス・プリンセスの曲を聴いていました。「M」という曲が掛かり、その歌詞を聴いていたら、孝久君の気持ちをそのまま歌っているように感じ、胸がいっぱいになりました。ふと孝久君はプリンセス・プリンセスの曲の中で、どの曲が一番好きだったのだろうと思ったら、その瞬間、筆が止まりました。それまで孝久君は今でも僕の心の中で生きていて、もう悲しくはないと思っていました。それなのに、その答えを聞く事が出来ないという事に、改めて孝久君の存在が遠く感じ、涙が溢れ出しました。

千代さんの気持ちのページへ

「なかまたち」のページへ

メニューへ戻る

inserted by FC2 system