自殺

 子供の頃、自殺のニュースがある度に、「自殺をした人は天国へ行けず、地獄で苦しむんだよ」と聞かされ、子供心に自殺は悪い事だと思いました。死を一番に恐れる僕は自らの命を絶つ事など出来るはずもありませんでしたが、自殺のニュースは絶える事が無く、いつかは僕も自殺する事になるのではないかと不安になった事もあり、自殺する者の心理が気になりました。
 まだ小学生の低学年だった僕が友達のアパートへ行った時でした。2階にある友達の部屋から下を覗くと死の恐怖を感じ、飛び降りたいという衝動にかられました。実際には2階から飛び降りたぐらいで死ぬ事は無いと思いますが、その頃は死ぬと信じており、死なない程度で飛び降りてみようと階段の下から5段目ぐらいから飛び降りてみました。大人にとって5段ぐらいは多少の衝撃を感じる程度ですが、小学生の僕には滞空時間が長く感じ、着地の衝撃も大きく、大きな恐怖になりました。中学2年生の時にはカッターで自らの手を切った経験もあります。授業中に筆箱に入っていたカッターを見て、「これで手首を切ったら死ぬんだなぁ」と思うと、どんな感じなのか試してみたくなりました。勿論、死ぬ気などありませんでしたので、ちょっとだけ切ってみるつもりで、カッターの歯を親指の付け根にあて、ゆっくりと引きました。その途端、電気が走ったような激しい痛みを感じ、思わず飛び上がってしまいました。しかし、傷口を見ると痛みの割には1ミリぐらいしか切れておらず、出血もにじむ程度しかありませんでした。たった1ミリぐらいの傷で激しい痛みを感じたのですから、致命的な傷を負うには、相当の痛みを覚悟しなければならないと思いました。
 他にもこのような馬鹿げた事を何度か経験しましたが、自殺に至るまでの理由があったわけではありませんので、自殺する者の心理を理解する事は出来ず、恐怖や痛みの経験から、一層、自殺を否定する結果になりました。

 僕が事故で入院をしてから2ヶ月が経った4月8日、1人のアイドルが飛び降り自殺をしました。とても知的でお人形のように可愛く、自殺など無縁に感じる女の子でしたので、突然の出来事に驚きました。特に18歳という年齢が大きなショックでした。
 自殺したという事は、相当の苦しみや悲しみがあったのだと思います。その苦しみはアイドル本人にしか分からず、僕が何を言おうとも仕方の無い事ですが、その答えを出す前に何か方法は無かったのかと悔やまれます。もし、僕で良ければ相談相手になり、こんな残念な結果にならないようにしてあげたかったと思いました。当時、そのアイドルはコーヒーゼリーのコマーシャルに出ており、そのCMが流れる度に「何故?」、「どうして?」と、そればかりを笑顔のアイドルに問い掛けました。
 アイドルが自殺した日の午後のワイドショーは何処のチャンネルもアイドルの自殺を報道しており、そこには自殺現場で全身に毛布を掛けられ横たわるアイドルの姿がVTRで映し出されていました。遺体が運ばれた後の映像には人型が白線で描かれ、頭の部分には出血の痕が黒く残っていました。どの映像からも自殺の恐怖や悲しみが伝わってきました。今まで自殺のニュースを何度もテレビで見てきましたが、これほど悲惨な現場を目の当たりにした事は初めてで、悲しみが胸の中で破裂しそうになりました。「生きていれば必ず良い事があるのに・・・」、「残された家族や知人の悲しみを考えなかったの?」、「死ぬ気になれば何でも出来るじゃないか」と自殺を悔やむ言葉が次から次へと頭に浮かびました。その半面、「この世には病気や障害で苦しんでいる人が多く、みんな元気になりたい、生きたいと思っているのに・・・」と、大切な命を自ら絶ってしまった事に怒りも込み上がりました。様々な事が頭に浮かんだ中で、亡くなり何も感じる事がなくなったアイドルがうらやましいという感情もありました。当時の僕は事故から2ヶ月間、体が自由にならず、ストレスや手術の痛みに耐えてきた事で精神的にも参っていました。死んだ人間をうらやましく思うとは自分でも不思議でしたが、僕も楽になりたいというのが本音でした。だからと言って、僕も死のうとは考えません。自殺をしたいと思うどころか、悲惨な現場を目の当たりにした事で、自殺を否定する気持ちが更に強くなっていたからです。
 アイドルの自殺後、後を追うように若い女の子達が「私もYちゃんのようになりたい」と飛び降り自殺を繰り返してしまいました。僕には何故、若者達が後を追ってしまうのか分かりませんでした。僕もアイドルの死を見てうらやましいと思った事は事実ですが、後を追った若者達と僕とは理由が違い、僕は自分の事を棚に上げ、後を追った若者達をただただ残念に思いました。

 アイドルの自殺から1ヶ月半後、転院した所沢の病院で、僕は看護婦さんから突然、「一生車椅子です」と告知をされました。告知後、すぐに父からアメリカでの治療計画を聞かされ、前向きに生きようと思いましたが、前向きな自分と弱い自分の2人が居て、常に気持ちを強く保つ事が出来ませんでした。自然と死ぬ事を考えるようになり、あれほど自殺を否定的に考えていた僕も、この頃は自殺を肯定も否定も考える余裕すら無くなりました。そして、死にたいという意識と根底にある死んではいけないという意識が無意識のうちに闘い、死にたいという意識の方が勝り始めていました。しかし、僕には死ぬ手段がありませんでした。「僕もアイドルのように何処か高いビルから飛び降りたい」と思っても、全身が麻痺している為、ベッドから落ちる事すら出来ませんでした。その事がまた、「僕には死ぬ事さえ許されないのか」と僕を苦しめました。
 ある日、終に死ぬ手段を見付けました。それは舌を噛み切る方法でした。「これで死ねる」と思った瞬間、とてもうれしかった事を覚えています。手足の自由を奪われ、全てを諦め掛けていた僕に死ぬ事だけが許されたような気がしました。そして、その夜、実行する事にしました。
 消灯時間が過ぎ、真っ暗な病室の中で、遠くに見えるマンションの灯りを眺めながら、その時を待ちました。マンションの灯りはとても綺麗で、「あの一軒一軒に家族のドラマがあり、みんなしあわせに暮らしているのだろうなぁ」と思いました。そして、「僕が死んでも何も変わらないのだろうなぁ」という当たり前の事を考えながら、改めて自分の存在の小ささを感じ、淋しくなりました。
 その当時、僕は不安から夜が怖く、眠れない事が多くありました。眠れぬ夜はいつも意味も無く数字を数えて時間を潰していました。その夜も気が付くと数字を数えていました。最初は舌を噛み切るきっかけをつかめず、ただボーッと数えていたのですが、突然、1000を数え終えた時、舌を噛み切る事を思い付き、実行する事に決めました。
 淡々と数字を数えていくと、それまで感じていた苦しみや悲しみが何処かへと吹っ飛びました。死へのカウントダウンだというのに不思議と死の恐怖を感じず、これから楽しい事でも始まるかのように心が躍りました。それまで自殺する者は死の恐怖をどのようにクリアしているのか疑問でしたが、最初から感じていないという事が解りました。
 1000が近付くにつれ、色々な事が頭をよぎり、自然と数えるスピードが遅くなっていきました。何が頭をよぎったのか、今はもう記憶にありませんが、その当時、自分の走っている姿や泳いでいる姿など、思い切り身体を動かしている姿が目に浮かぶ事が多かったので、きっとその時も同じだったと思います。
 数えるスピードは遅くなりましたが、1つ1つ確実に数えていき、終に999まで数え終えました。いよいよ次が1000です。僕は「1000」の「ん」を言った時、舌を噛み切ろうと決めていました。
 そして・・・
「せ〜…」
 舌を口から出し、徐々に強く噛んでいき、噛み切るタイミングを計りました。しかし、なかなか「ん」が言えず、そのまま「せ〜」を延ばし、吐く息が無くなっても延ばし続けました。そして、終に「ん」が言えないまま苦しくなり、大きく息を吸い込みました。荒くなった息を整えながら、もう1度、覚悟を決め、「1000」を数えようと舌を出しましたが、「せ〜」と言った瞬間に再び決心が揺らぎ、「ん」がどうしても言えませんでした。その後、何度も「1000」を言おうと繰り返しましたが、結局、最後の「ん」が言えず、何度も何度も同じ事を繰り返しているうちに、自分のしている事が馬鹿馬鹿しく思え、途中で止めました。すると、急に怖くなり、涙が溢れ出しました。死に対する恐怖を認めたくなく、涙をこらえようとしましたが涙は止まらず、最後は誰も見ていない事を理由に思い切り泣きました。思い切り泣くと気持ちがスッキリとし、舌を噛み切る事ばかりを考え、その後、どんな騒ぎになるか、親がどんなに悲しむかという事も考えられず、単に死をしあわせな道だと考えた自分が悲しく思えてなりませんでした。「自分は何て馬鹿な事をしようとしたのだろう。もう僕には死ぬ手段が見付かったのだからいつでも死ねるではないか。何も死を急ぐ必要は無い。精一杯、辛さに耐え、それでも駄目だと思った時、最後に実行すれば良いではないか」と思いました。
 「自殺を最後の手段」と考える事で気持ちがとても楽になりました。しかし、当時の僕は躁鬱(そううつ)が激しく、すぐに深い悲しみが襲い、舌を噛む行為を続けてしまいました。ただ、舌を噛むと言っても死ぬ事が目的ではなく、自殺の真似事をする事で自分自身を慰めていたのです。真似事をするなど馬鹿げているかもしれませんが、辛い気持ちを落ち着かせる事が出来たのです。
 ところがある日、僕は無意識に舌を噛んでいました。「あれっ?」と我に返った時、初めて舌の痛みに気が付きました。それまで意識して舌を噛む事はあっても、無意識に噛んだ事など無く、無意識という事にゾッとしました。深い悲しみが襲う度、こんな事が続き、「このままでは本当に自分が駄目になる」と怖くなりました。そして、この事がきっかけとなり、「いつまでも逃げてばかりいてはいけない。死なない勇気を持とう」と、舌を噛む事を止めました。
 その後、何十回死にたいと考えたか分かりません。その度、「限界かな?」、「今回こそ限界かな?」と考えましたが、死なない勇気を思い出し、強がる事で、最後まで舌を噛む事をしませんでした。

 数年後、またしても芸能界で自殺に関する騒ぎがありました。その頃、僕はアメリカのロサンゼルスに居ました。テレビなどの情報はありませんでしたが、新聞は同時印刷されていますので、新聞でそのニュースを知りました。記事には「女性歌手が交際中の男性歌手の風呂場で手首を切り、倒れているところを帰宅した男性歌手に発見された」と書いてありました。僕はその記事を読み、女性歌手は単に離れつつある男性歌手の気持ちを引き止めようと自殺の真似事をしたのだと感じました。勿論、真実は自殺未遂を起こした女性歌手本人にしか解らず、新聞が何処まで信頼できるのか疑問です。その中で腹を立てる事はおかしいと思いますが、僕はその女性歌手に対し怒りが込み上がりました。本来なら自殺が未遂に終わり、喜ぶべきだと思いますが、僕にはその女性歌手が、最初から死ぬ気など無かったように思います。死ぬ気も無いのに自殺の真似事をした事が許せませんでした。
 それからまた数年が経ったある日、僕はある事に気付きました。それは女性歌手に対する怒りは全て自分自身に対する怒りだったという事です。僕が舌を噛み、自殺をしようとした時、死のうと思った事も、それがしあわせだと感じた事も本当です。しかし、今ではその気持ちが錯覚だったような気がしてなりません。当時、常に悲しみの中で頭は混乱しており、現実から逃避したい一心で、本当は生きたいという気持ちがあったにも関わらず、それを感じる事が出来なかったのだと思います。死ぬ事を止めた時、急に涙が止まらなくなった事がその証拠だと思います。つまり、その女性歌手と理由は違っても、死ぬ気も無いのに愚かな行動をとった事は同じです。僕は無意識に女性歌手と自分の情けない姿をダブらせ、怒りが込み上がったのだと思います。

 現在、僕は自殺を肯定しなければ否定もしません。本来なら過去の経験から否定という答えを出すべきかもしれませんが、自殺を身近に感じ、様々な事を考え、経験した事で逆に否定できなくなりました。
 アイドルの自殺の中で、自殺を悔やみ、僕の頭に浮かんだ3つの言葉・・・。
「生きていれば、いつか必ず良い事があるのに・・・」
「残された家族や知人の悲しみを考えなかったの?」
「死ぬ気になれば何でも出来るじゃないか」
 これは極めて一般的で、誰もがよく口にし、耳にすると思います。この言葉は間違っていないと思いますが、自殺する者にこの理屈は通りません。もし、この3つの言葉を自殺しようとしている人に投げ掛けたならば・・・
「いつ訪れるか分からない良い事を待つより、現在の苦しみから今すぐ逃れたい」
「自分の事だけで精一杯で家族の気持ちを考えるほどの余裕が無い」
「何もする気力が無くなったから死を選ぶんだ」
という返事が返ってくると思います。どの返事も弱虫で、無責任で、理解する事は難しいかもしれませんが、自殺を考える人は僕達が考える以上に追い詰められているのです。その気持ちは経験してみなければ分からず、決して責める事は出来ません。だからと言って、気持ちを理解しようとする必要もありません。簡単に理解できるものではありませんし、万が一、理解して自殺のメカニズムにはまってしまったら大変な事になります。
 日本では年間約2万人の方が自殺で亡くなっているそうです。この数は交通事故で年間亡くなる方の数の倍にあたり、実は交通事故より自殺の方が身近だったのです。例え、「死を恐れるから大丈夫」、「自殺を否定しているから大丈夫」と思っていても、決して他人事ではありません。苦しみや悲しみの中には死の恐怖を超える物があり、恐怖を超えた時、死は恐怖でなくなります。自殺を否定していても、その状況になると否定も肯定も考える心の余裕がなくなり、苦しみや悲しみから逃れようと自殺に至ってしまうのです。
 自殺という行為を否定する前に、普段から多くの人とコミュニケーションをとり、せめて家族や知人の中から自殺者を出さないように心掛ける事が大切だと思います。そうする事により自然と自殺者は減り、また、自分自身が死を超えるほどの苦しみや悲しみに襲われた時、自殺に至らずに済むと考えています。
 僕は未だに「自殺を最後の手段」という考えを捨て切れずにいる弱い人間ですが、同時に2度と舌を噛むような真似をしたくはありません。家族は母だけになってしまいましたが、母と友人知人とコミュニケーションを多くとり、「死なない勇気」を強く持ち、これからも障害に負けず、頑張って生きていきたいと思います。

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